stroller.blog.eonet.jp > 交通科学館の想い出

イントロダクション

 大阪・JR弁天町駅前にある交通科学館が、4月6日(日)で閉館になる。1962(昭和37)年に開館であるから、50年以上の歴史が閉じられることになる。

 これは新たに京都・梅小路に鉄道博物館が開館されるからである。関西の人間にとっては、小学生時代などによく社会科見学や遠足に出かけた思い出の場所であり、それがすっかりなくなってしまうのは、さみしい気持ちもする。
 
 そして、新たに整備される交通博物館は、梅小路の機関車館と一体化され、京都の新たな集客施設としても大きな期待が寄せられている。これからこの閉館について、新たな交通博物館についての報道などが大きくなっていくだろう。

 その中で、ほとんど話題にならず、またいろいろな新聞報道でも報じられないことがある。それは、「鉄道」以外の資料についてである。

  日本は、ものづくり大国だの、製造技術を世界に誇るなどという割に、産業技術などに関する体系的な博物館、資料館が国立では存在しない。
  東京の交通博物館が、JR東日本によって大宮に拡大移転し、鉄道博物館となったことは記憶に新しい。大きな話題となり、現在の多くの人を楽しませている。

 しかし、JRという鉄道会社が設立運営している博物館であるから、当然なのであるが、神田に存在した交通博物館に展示されていて、鉄道以外の展示物はそのほとんどが姿を消した。
 今回、交通科学館も「鉄道博物館」に純化するわけである。鉄道以外の転じはほとんど無くなるだろう。現状、弁天町の交通科学館の展示を見ても、自動車や航空、海運などの展示は、20数年前のJR民営化当時で時が止まってしまったかのような古ぼけたものになってしまっている。

 JRという鉄道会社に、日本の交通機関全般に目配りした展示や調査研究、収集をしろというのはお門違いだろう。だから、交通の文字をはずす段階で、鉄道に関するものに純化するのは致し方ない。

 ただ、本当にこれでいいのだろうか。政治家や経営者などにも、博物館や美術館、図書館などを単なる集客施設としか考えられない人たちが増えているようだ。本当にそれでいいのだろうか。最近、回顧主義で、戦前の日本人に立ち返れなどと主張する人が多いが、さて、戦前の日本人は博物館、美術館、図書館をどういう考えで整備してきたのだろうか。勇ましい話ばかりではなく、そうした点にも配慮して欲しい。

 日本から交通を関した博物館が消える。単なるそれだけのことなのだが、どうしてそういうことになったのか、そして、それで次世代に向けてのいろいろなことが継承できるのかどうか、考えるきっかけになればいいと思うのだが。